Let's \D進/

シグナルバイク!!!!!

ドクター!!!!!!!!

この記事にはなにが書かれているのか

D進(博士過程へ進学すること)を闇雲に推奨するものではありません.

私はD進を予定する大学院生(修士2年)です. D進するにあたり,私がこれまでどう考え,どのように行動してきたのかを,まとめておくものです. もしD進を考えている人がいたら,後悔のない選択のための参考になればいいなと思っています.

なお,本記事はeeic (東京大学工学部電気電子・電子情報工学科)その2 Advent Calendar 2018,最終日の記事です. 今年のアドベントカレンダーを立ち上げてくれたずんずん,ありがとう.

お前は誰だ?

前述の通り,私はD進を予定する大学院生(修士2年)です.

本記事では基本的に,大学名・所属などを直接には示しません……と思いましたが,eeicアドベントカレンダーに参加している時点で半分以上明かしてますね. 東京大学工学部電気電子工学科を卒業し,大学院(工学系ではありません)に進学しました.分野は強電系です.

実は私は,B4(学部4年生),修士,博士と,すべての課程で異なる研究室に所属する(予定)です. 状況は少々特殊かもしれないですが,まずはどういう過程をたどってきたのか,またその時どうかんがえていたのか,というところから整理していきたいと思います.

後半では,DC1(学術振興会特別研究員)申請について,少し記述する予定です.

これまでの3つの出来事!

eeic進学以前

もう東大って書いちゃったから書きますけど,理科一類の出身です.

知っている方も多いと思いますが,東大はシステムが特殊で,大学2年までは全員教養学部(前期課程)というのに入れられます.2年生の後半から各学部学科に振り分けられます(これを進振りと言います). 理科一類は物理・化学系を志望する学生の多い科類なんですが,まあそこからでも文系・生物系など他分野へ進学することもできます.

私は工学系を志望していましたが,どんな系統に進むのかはあまり決めていませんでした.強いて言えば機械系が候補に入っていたような覚えがあります.

さて,そんな1年生の頃,私は工学系のオムニバス授業で,ある概念と出会います(これは伏せますが発電に関する概念です). これは研究途上の概念ですが,実現すれば世界の電力事情が大きく変わる概念です.

当時は東日本大震災から3年しか経っておらず,発電というか電力事情というものに対して,私も不安というか,このままではいけないというような考えをは持っていました.しかし,それに対してどのように行動すればよいかはわかっていませんでした.

そんなぼんやりとした不安と結びつき,私はその概念に強い興味を持ちました. 自分でも科学館や研究所を訪れて情報を収集しました.

そして進振りに際しては,その授業を担当していた教授のいる工学部電気電子工学科(eeicの片割れ)を志望しました. 一応学科選びは少しだけ悩みました.比較対象だった学科はチャラ・ウェイ・オラつきの巣窟という印象があり,カリキュラムも比較的緩い感じを受けました.一方eeicはカリキュラムがギッチギチにきついですがオタクが多い印象で生きやすそう.カリキュラムについても,俺は圧倒的に成長するんだという強い気持ちでeeicを選択しました.

何月病だったんでしょうね.

eeic B2後半からB3

学科のカリキュラムはギッチギチでした.

情報系がくっついているため,電気系でありながらプログラミングの授業等も取らねばなりません. 前期教養からの友人や新しくできた友人たちにおんぶにだっこで乗り切りました.圧倒的感謝.

しかも,卒論研究を行う研究室の配属は成績順で決定されるとあって,特定の研究室を志望して学科に入ってきた私は,ちゃんと授業に出て課題をやって……と忙しく暮らしていました.とはいえ,成績は真ん中ちょい上くらいでした.

B3になると,学生実験が始まり,一層忙しくなりました. この時期に,やはり友達に頼り切りながら,LaTeXを導入して実験のレポートを書き始めました. あとからTeXの話題はまた出てきますが,この時期にTeXを使えるようになっておいて本当に良かったと思っています.早ければ早いほど良いぞ.

さて,この頃には博士進学の意志をほぼ固めていました. 私の志望する分野は,前述の通り研究途上です. その実現に向けた活動に関わってみたい,と思うと,どうしても研究職に就くことが求められます.もちろん就活した先で関わっていく方法もまったくないわけではないですが,僕は研究職として関わりたいと思いました.

そして研究職に就くためには,博士号が必要です.

最速で博士号を取るためには,博士課程に進学しなくてはならないわけです.

結局成績順では志望研究室に落ちたのですが,最終的には無事,その研究室に配属されました.

B4

B4で博士進学を決めてるやつなんてそうそういませんからね. やる気はある部類だったんじゃないでしょうか.

しかし,配属先はいろいろと問題があり,直る予定のない装置故障,突如始まった居室のリフォームなど,なかなか「研究」に着手できませんでした. そんな状況が3ヶ月続くと,教授や研究室への不信も強まるというものです.

6月,修士課程への出願のタイミングで,私は研究室を変えることを決意しました.

院試を無事乗り越え,苦しみつつも卒論を提出しました. 特に書くことはありませんし,特に成果も得られませんでした.

研究室は気をつけて選ぼうな.

修士課程(今ここ)

3つと言ったな.あれは嘘だ.

修士課程では,機械学習を用いて過去の実験データをなんやかんやすることになりました. いまでも毎日なんやかんやしています. この内容で修論を書きます.

さて,修士課程で所属することになった研究室は,定年間近の教授が運営しています. 具体的には,私が修士課程を規定年限で修了する時点で教授が定年退職します. つまり,博士進学する際にはもう一度研究室を移らなくてはならない,ということです.

これについては,修士課程の入試時点でわかっていたことですので, 有利不利で言えば不利かもしれないですが,たいしたことないと考えています. 重要な点は,ラボが決まった時点(実際は院試の面接の時点)で,D進の意志があることを教授に強く伝えていた,という点だと思っています.

おかげでM1の時点で国際会議(国内開催ですが)で2回発表し, 国内学会の出している英語論文誌に1本論文(proceedingsですが)を掲載するところまでこぎつけました. これもすべて学振を見据えて,稼げるだけ発表数を稼いでおこうというプランでした. また,M2の夏までにさらに国内・国際学会での発表予定を得ましたので,これらも学振申請に書くことができました.

さらに,このブログでも書きましたが,M1の3月にヨーロッパ武者修行とかいう謎企画が組まれ, 私は単身でヨーロッパ3カ国を渡り歩くことになりました. これは直接的に成果に結びつくものではありませんでしたが, 行った先でのプレゼンなどを通して現地の研究者と交流ができたり, 外国の研究所がどんな様子なのかを知ることができたりと,収穫は大きかったように思います. あと単純に度胸が付きました.

ボスはじめ周りからの圧はかなりありましたので, メンタルが削れることも時々ありました. 時々この教授は俺を博士学生だと勘違いしてないか?と思うこともあります.

この時期に学振申請も書きましたが,これは後述.

博士課程(予定)

新しく指導教員になる教授は,外部の研究所の所属で, 東大では客員という立場になります. 現在所属している研究室を新ボスが実質的に引き継ぐことになります.

テーマは大きくは変わらず,このまま機械学習でなんやかんやしていくことになろうかと思います.

学・振・申・請

やっと本題ですね. 「こうすれば通る!」なんて書けるわけもないので, 基本的には単に自分がしてきたことを列挙します.

それではまず,私の置かれていた状況から見ていきましょう.

  • M1になった時点
    • B4→M1でラボが変わった
    • この時点でD進の意志は固く,DC1を取りたいと考えていた
    • 変更先のラボの教授は定年間近のため,D進するならまたラボが変わる
  • M1の間に起こったこと
    • D進先の教授(以下新ボス)とコンタクトを取った
    • 新ボスは外部の研究機関にいるため,なかなか会えない
    • 学会・論文をいくつか出させてもらった

学振タイムライン

上記の情報を合わせて,時系列で見てみます.すべて

M1

4月

修士進学,教授にD進の意志を伝える.テーマが決まる.研究が始まる.

7月頃

秋の国際学会(開催は国内)2本にアブストラクトを投稿.なお査読なし.

11月

国際学会(開催は国内)2本でポスター発表.

12月

国際学会のProceeding論文を書く.

1月

論文の修正をしながら, 学振申請書について考え始める.

研究室が小規模な上,周りにDC持ちがいなかったため,とりあえず本を買いました.学振申請書の書き方とコツという本です. 写真によると大雪が降った日.

申請書は毎年少しずつ変わるので,完全に全て正しいわけではありませんが,かなり参考にしました.過去に実際に通った申請書が何枚か載ってるのが良いです.

2月

2月20日科研費LaTeXでDCの申請書が公開されたようです.(リンク先は2018年秋応募分)

私はこれより少し前に前年度版をダウンロードして,2月半ばには書き始めていました. これにはいくつか理由があります.

まず,単純に新ボスと会う機会が少ないため,早めに修正に取り掛かりたかったから.次に,3月にヨーロッパをうろうろすることになっていたので,3月はあまりDC1申請書に書ける時間がなさそうだったから.あとは,そわそわして落ち着かなかったから,です.

3月

ヨーロッパにて,最初のバージョン(ver. 0)を書き上げる.

5月まで

結局Ver. 6まで,計6回の大型アップデートを経て提出しました. 基本的には新ボスとのやり取りの中でアップデートしていきましたが, 最後の方では友人たちに共有してコメントつけてもらいました.

専攻とかによっても違うと思いますが,提出は結構面倒くさいので早めに書き上がっとくと良いと思います.

10月

10月第3週くらいに結果がわかると勝手に思ってたんですが, 10月12日にメールが来ました.

メール開封時は流石に手が震えました.

学振,僕から言えること

早めにD進する旨を伝えよう

D進の意志がある学生とそうでない学生に対しては, 指導教員から与えられるプレッシャーもチャンスも,かなり違うと思います. 実際に修士1年から僕は発表のチャンスを多くもらいました. 得られるチャンスは全部使ったほうが良いと思います.

早めに書き始めよう

僕は前述の理由から2月には書き始めてました,まあこれは早すぎる例だと思いますが.でも3月とかに書き始められるほうがいいんじゃないでしょうか.

はっきり言って学振申請書の第1稿がほとんどそのままで出せる人なんてほぼいないでしょう.何度も書き直しましょう.

また,科研費LaTeXで望む形式をきちんと出力できるように(=ギリギリになってからTeX関連でバタバタしないために),早めに動いたほうが良いと思います.

書き方についてなんか言うとすれば

よく言われますが,相手は自分の分野については何も知らない,という前提を持つこと.その上でどれだけ表現を詰めていけるかということ.より簡潔な言い換えがあればそれを採用するのは当然です.

何度も書き直す,に通じてきますが,とにかく限られた字数で自分の考えていることをどれだけ伝えられるかです.

わからない

何がわからないかというと,審査基準です.非公開なので当然なんですけど.

私の研究室では,申請時点で僕と同じくらいの業績だった先輩(結構上ですが)が誰もDC1に通っていないという経緯がありました. そのため,「業績があるから通る」「業績がないから通らない」と一口に言ってしまうことはできないと考えています. 「論文出してるんなら通るでしょー」とか言われても全然安心できませんでした.

ポジティブにーパッションにー

何故か僕は「DC1に通る」という根拠のない自信に基づいて生きてました.

それぐらい振り切った精神状態のほうが,生きやすいかもしれません……と思ったけどこれは完全に生存バイアスですね. セーフティネットとしての,他の奨学金やらRAやらは,探しておいたほうがいいと思います.

Dの意志 / 思考と決断について

早く決断すること

すでに述べたように私はB3時点でD進の意志をほぼ固めていました. これによって得られたメリットは以下のとおりです.

  • 就活とD進で悩む必要がない
  • 就活イベントとかいうのに時間を取られない
  • ガンガン集中して研究できる!!
  • (場合によるが)教授の理解と協力を得やすい
  • ガンガン集中して研究できる!!

デメリットのようなものは以下のとおりです.

  • 後戻りができない(気持ちの上で)
  • 就活の話題についていけない
  • 研究しかすることがない
  • 学会や論文投稿でのプレッシャーがやばい
  • (場合によるが)教授からのプレッシャーがきつい

周りが就活してる間にガンガン研究してドンドン発表して,学会会場でも色んな人とコミュニケートしていくぞという気持ちでやっていました. 学会発表が就活代わりみたいなもんですね.

悩まなくてすむ

就活はしないと決めていたので悩まなかったわけですが, 悩むことによる精神的ストレスを受けずに済みました.

まあ周りからはちょっと浮いていました.

もちろん,悩まなくても受けるストレスとか,研究に対するプレッシャーとか,そういうのはバリバリ受けました.

後戻りができない

できるんですよ?

別にD進やめてもいいし,休学しても退学してもいいんですよ.周りにもいっぱいいますよ.

別にD進してからも普通に就職してもいいんですよ.

できますけど,でもなんかちょっと後戻りしにくいような,そういう気持ちで生きています.

一応今の所,後戻りする予定もつもりもないですが.

怖い話

どこのコミュニティで話していても「D進したらすぐ彼女と別れた」という報告を聞きます. 怖いですね.

D進ジェネレーションズ FOREVER

「さいごに」です.

D進は人生の中でもかなり大きな決断だと思います.僕もそうです. 今後の人生がドンドン狂っていくんだと思います. でも後悔はしないようにしたいので,頑張って生きていきます. 頑張って生きていくから,応援してくれ. 具体的な応援する手段としてのほしいものリストは今度公開するからTwitterを見ててくれ.

この記事が,D進を考えている人の助けになったりならなかったり,それ以外の人のいっときの娯楽になったりすればありがたいです.

8000字も書いちゃったしね.

それでは,良き人生を.